ドストエフスキーの魔力
朝早くに自分がまるで本当に人殺しをしてしまったような
強烈な錯覚に囚われて、ベットから飛び起きるという経験は
今でも忘れられない読後体験のひとつです。
何かの本を読んで恐怖にうなされるというようなことは
もちろんそれ自体あまり楽しいものとは言えないでしょう。
しかし、それほどまでに鮮烈な印象を残すドストエフスキーの
作品世界というものの魔力については考えさせられるところが
大いにあります。読んだそばからその本に何が書いてあったのかを
忘れてしまうような本も多い中で、このあまりにも激しい
読書体験というのは、いったい何に起因しているのでしょうか。
多くの作家が強い影響を受け、ドストエフスキーのような
作品を書くことを目指しもするが、それはついにかなわぬ夢と
なるのが、悲しいけれど現実ではないだろうか。
ドストエフスキーの作品に共通している手法は、
その時間の伸縮という小説が持つ特性を充分に利用している
ことに代表されるように、真似をしようとすれば誰もが
真似のできることではあるが、それをあの水準まで持っていく
ことはなかなか困難なことであるらしい。
例えば4日間で起こった出来事を分厚い2冊の小説に
してみせるということは、可能ではあるだろうが、
それをものすごい速さで読み進めてもらうような仕組み作り
というのは、天才にのみ可能な領域なのかもしれない。
ドストエフスキーについて書かれた作品は数多くあるが、
そんな中でもお薦めなのがバフチンのこの1冊です。
ドストエフスキーを論じて、それがひとつの作品としてまた
楽しめるという、単なる解説に終わらない良書です。
多くのドストエフスキー論とあわせて読むと更に面白いです。
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