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2007年3月31日 (土)

堕落することを拒絶し続けた坂口安吾

太宰治とともに無頼派の作家として名をはせた坂口安吾であるが、

その有名な『堕落論』は堕落のすすめなどでは当然なく、

堕落についての考察である。そしてそこからは

無頼派という分類とはまったく関係のない坂口安吾の

生きる姿勢が滲み出ていて、秀逸である。

またその小説も魅力的であり、多くの作家が賞賛するところでもある。

太宰治の作品と同じように、全集などでその作品の全てを

読んでいただきたい作家の一人であるが、

ここではとりあえず、代表的なところを入門として紹介してみたい。

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2007年3月30日 (金)

質の高い戦争文学を書く大岡昇平

戦争体験を宗教や倫理の問題にするまでに文学的に

優れた才能を発揮したのが、大江健三郎もよく話題にする、

大岡昇平である。その作品世界には戦争の悲惨さはもちろんのこと

人間そのものが描かれており、どの作品をとっても、

とても考えさせられるいい作品に仕上がっている。

とりあえずその中でも代表的で、ぜひ読んでもらいたいものを

3作品ほど紹介しておきたい。

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2007年3月29日 (木)

文芸批評家としての蓮実重彦

映画評論家としてやプロ野球に物申す人として知られる

蓮実重彦であるが、世間で一番通りがいいのはやはり

東大学長の経歴かもしれない。

しかし、以前はフランス文学者として文学や思想の翻訳を行い、

自らも文芸批評を展開していたのである。

本人に言わせれば今でもやっていると言うのであろうが、

最近の蓮実重彦の活動はどう考えても文芸批評家のそれではない。

東大学長にもなり、文化人として興味のあることに対して発言をしていれば

それで済むといったような、安易さに満ち溢れている。

けれども昔の作品の中には文芸批評の新しいアプローチの仕方を

模索する意欲的な作品があったことも事実であり、

それらの作品を今現在読んでみるのも決して無駄ではないと思う。

ただ、その独特な文体に感染するとなかなか抜け出せず、

普通に言えばなんでもないことまで文学的に感じられるので、

それを才能ととるか、単なるレトリックととるかは、

読む人の判断にゆだねたいと思う。

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2007年3月28日 (水)

柄谷行人の倫理と原理

柄谷行人の倫理というのは、それまで柄谷作品に親しんできた者には、

少し意外な感じがあるのかもしれない。それまでの柄谷行人の流儀は

最先端を疾走するイメージがあり、自らもバスケットボールでは

味方がいるところにパスを出すのではなく、味方が当然走りこむであろう

ところにパスを出す、と言っているように、その作品も理解されるために

書かれたというよりは、これくらいのことは理解してくれよという感じで

書かれていたのである。なので当然、走りこめなかったものは

パスを受け取ることができず、離れていかざるを得なかったのである。

しかし、倫理と言うとき、そのような態度はまったく許されない。

なぜなら、相手を選んで能力のある者のみに適用する倫理など

倫理として存在しえないからである。

柄谷行人はその後挫折してしまうのではあるが、

NAM(New Associationnist Movement)という原理により、

資本や国家への対抗運動を組織しようとするのである。

この挫折は柄谷行人にとっての新たな始まりになっていくと思うが、

常に突出した存在であり続けた柄谷行人が、

多くの人のために運動を組織しようという背景を考えつつ

以下の作品を読むと、今現在の日本のありようを予見していたようで、

とても興味深く読めるのではないかと思う。

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2007年3月27日 (火)

柄谷行人の思想の流儀

柄谷行人の現代思想の受容の仕方が正しいものであったかどうかは

はっきり言って私にはどうでもいいことであると言える。

誤読や誤解に基づいたポストモダニズム思想の受容であったとしても、

そこから生まれ出る思索が、私にとって重要な問題をはらんでいるなら、

それは読む価値のある作品であり、逆に言えば、

どれほど現代思想について正確な解説であろうと、

そこに描かれた問題が私にとって興味のないことであるなら、

それはまったく読む必要がない作品であるのだ。

その意味でも柄谷行人の『探究1・2』の2作品は

私にとってとても重要であるし、それ以外にも柄谷思想の

最近の展開はとても興味深いものとなっている。

多くの人が同じような問題意識を共有していただければと願いつつ、

ここで紹介しておきたい。

『定本』の方には前回紹介した『内省と遡行』が含まれているようですが、

かなり加筆されて文体なども異なっているようですので、

ぜひあわせてお読みいただければと思います。

また、現在の最も大きな達成を示すものとして、

『トランスクリティーク』があり、また、最近の新書もあわせて

お読みいただければと思いますので、紹介しておきます。

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2007年3月26日 (月)

柄谷行人の文芸批評

吉本隆明の強い影響を受けながらも独自の思考を展開しようと

常に時代の最先端を歩んでいた当時の柄谷行人には

危うさと同時に新しい希望を抱かせるエネルギーに満ちていた。

それまでの沈滞したムードのマルクス主義に一石を投じうるのでは

ないかとも感じさせられるほどに、シャープな切れ味鋭い論考には

今読み返してみても多くの示唆を与えられる。

特に文芸批評の分野では高い能力を遺憾なく発揮していたと思う。

ただその後の柄谷行人については評価が分かれるところだと思う。

最も残念だったことには柄谷が活躍し始めた時代に

優秀な小説家が現れなかったということである。

大江健三郎以降では内向の世代に才能のある人がいたとはいえ、

文芸が衰退していく丁度その時に、柄谷は文芸批評から

ポストモダン思想へと舵を切ることになるのだが、

そこで本来であれば吉本隆明と正面から向き合うべき時期に、

蓮実重彦と共闘を組むことによりあいまいに過ごしてしまった感は否めない。

その時期のものもそれなりに楽しく読ませるのではあるが、

文学好きな者にとっては少し勿体無かったというのが正直な感想である。

吉本びいきの中上健次が柄谷行人の側にいただけに、

柄谷が吉本を超えられるかの挑戦は見てみたかったと

今でも思わずにはいられないというのは私ひとりの感想だろうか。

今回は柄谷行人のデビュー当時からの文芸批評を中心に

紹介しておきたいと思います。

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2007年3月25日 (日)

早過ぎた死を悼む中上健次論

近年の作家の死で最も衝撃を受けたのがやはり

中上健次のそれであった。

まだ死ぬには若すぎるということはもちろんのこと、

それ以上に中上が死ぬなんて想像もできないほど、

私にとって中上健次という作家はエネルギッシュで、

生の力にあふれた存在であったのだ。

それほど大きな存在感を示していた作家の死を前にして、

多くの作家や批評家がすばやく中上健次論を上梓した。

その中でも絶対にはずすことができないものといえば、

やはり盟友の柄谷行人の手によるものであろう。

生前はどちらがどちらを巻添えにしているのか分からないような

つながりを見せていた2人ではあったが、

そのある種独特な緊張関係を知るものにとっては

興味の尽きない作家論となっている。

他の2作品もそれぞれの評者なりの中上健次観があり

早すぎる死を悼むには格好の作品であるように思う。

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2007年3月24日 (土)

物語を紡ぎ出す天才・中上健次

戦後生まれで初めて芥川賞を受賞した中上健次は

その初期の作品にこそ大江健三郎の影響が見て取れるが、

その後はフォークナーを参照しつつも独自の物語世界を

構成し続けた天才作家であったと思う。

後期の作品には実験的作品も多く、その評価はまだ完全に

固まっているとは言えないと思うが、前期の路地を舞台にした

多くの作品はとても高く評価されており、それは今後ますます

輝きを増してくるものと思われる。

そんな中でも私が最も優れていると思うのが『鳳仙花』という

作品であり、この作品を頂点にした中上文学というものは、

現代文学の最良の部分であると考えている。

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2007年3月23日 (金)

内向の世代・古井由吉

大江健三郎以後の文学界を支えた存在として忘れることができないのが、

やはり内向の世代と呼ばれた、古井由吉を代表とする一群の作家たち

であることは間違いないであろう。ただし、現在から振り返ってみると

この一群の作家たちの最も不足していたものが、実はより徹底した

内向であったことは皮肉なことだと言わざるを得ない。

批評家の柄谷行人や小説家の中上健次が期待を込めて

この世代を持ち上げたのに対して、この一群の作家たちが

きちんとその期待に応えているとは思えない。

ただ、わずかにこの世代の中でも古井由吉が独自の作品世界を

現在に至るまで構築し続けているといったところだろうか。

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2007年3月22日 (木)

フランス思想入門

現代思想の最先端はサルトルの実存主義の流行以来

フランス思想がその位置を占め、独自の日本思想がなかなか育たない

現在の貧困な状況では、日本の思想はフランス語の翻訳家によって

作られると言われるほどにまでなってしまっている。

そんな中でも蓮実重彦のこの本はとても象徴的な1冊である。

また、ニューアカデミズムなどと言われた浅田彰の著作では

この1冊さえ読んでおけば、後はあまり建設的でないので必要ないであろう。

最近旺盛な活動で目を引く内田樹の著作ではこの1冊が

とてもうまくフランス思想を描写していると思われる。

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2007年3月21日 (水)

フランス文学案内人・渡辺一夫

大江健三郎の師でもあるフランス文学者の渡辺一夫は

ラブレーの研究者としてもとても素晴らしく、

『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』の

翻訳とその詳解は上質な文学研究者の作品として

ぜひ熟読していただきたいものである。

他にも分かりやすいフランス文学案内を出しており、

フランス文学にまだ触れたことがない人や、

幾人かの作家の作品には触れたものの全体を見通す

俯瞰的な視点を持ちたいと考えている人には

とても便利な1冊となることは間違いがないであろう。

また、大江健三郎による渡辺一夫に関する本もあわせて

お読みいただければ、いっそう深い理解が得られるはずである。

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2007年3月20日 (火)

ドストエフスキー論

学生時代に作品を発表し、そのまま小説家として歩み始めた大江健三郎が、

その社会人経験のないことを補おうと努力したもののひとつが読書である。

学生時代の勉強の延長線上にあったフランス文学、

その中でもサルトルからの影響は初期の大江文学に色濃い。

そしてその後さまざまな読書体験を積んでいくのではあるが、

何度となく戻ってくる作家としてやはりドストエフスキーがあげられると思う。

大江自身によるドストエフスキー論というのも興味深いのではあるが、

ここでは少しまとまった作家論や作品論を紹介して、

ドストエフスキーの魅力の一端にでも触れていただければと思う。

江川卓の『謎とき』シリーズの作品論は作品を読んですぐに

読んでみるのもいいが、他の作品論などを読んだ後に

別の切り口で作品を楽しむのにも最適なシリーズだと思います。

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2007年3月19日 (月)

批評家を刺激する大江文学

一般には優れた小説家というのは読者にはっきりとしたメッセージを

明確に伝えてくれるものであると考えられているかもしれないが、

もしそうであるならば、その小説家の作品は一通りの読み方しかなく、

誰が読んでも同じような印象を受け、同じような読後感を残すはずである。

しかし、真に優れた文学者というのは多様なメッセージを

その読者の状況や読む年代によって伝えてくれるものであるように思う。

そのため大江健三郎のような優れた文学者に対しては

同時代の作家や批評家がそのメッセージに対して反応することが

多くなっていくことは当然のことであり、避けられるものではない。

これはイジメられっ子における「攻撃誘発性」の問題とは別のもので、

優れているということが認められていればいるほど、

その人の弱点を指摘して優越感に浸りたい人もいれば、

他の作家が論じるべき価値のないことの裏返しとして、

批判にさらされるということも出てきてしまうのである。

小林秀雄のように、その世界で一流と認められている人について

きちんとした批評ができることが大切だという考え方もあると思う。

そして大江健三郎という人はこれら全ての批評に対し、

被害者的であったり、感情的になったりすることもあるとはいえ、

真摯に応えようと努力してきた作家であるように思う。

このことは批評する側の人も意識しているはずで、

やはり読んで考えさせられる内容の詰まった批評が多いようである。

1冊目は大江健三郎案内としてまとまっているもの。

2冊目は自身も作家として活躍している人のもの。

3冊目は大江本人はあまり納得していないらしいもの。

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2007年3月18日 (日)

それでもまだまだ大江健三郎

大江健三郎の小説の特有の魅力というのはその語り直しにもあり、

1つの作品を趣向を変えてまた別の語り方で表現し直すということが、

とてもしばしばあり、その作品間の差異がまたいろいろな思考を

引き出すのではあるが、このことに面白みを見出せない読者にとっては、

同じ話題を繰り返されているだけで、退屈で仕方がないことになってしまう。

そこでここでは誰もが紹介するであろう大江の長編から離れて、

内容的にも読みやすい中編小説をちょっと紹介しておきたい。

これらの作品を読んでアレルギー反応を起こさなければ、

徐々に大江健三郎の長編3部作などに歩みを進めてもらえればと思います。

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2007年3月17日 (土)

大江健三郎の小説の世界

なんと言っても大江健三郎の初期の傑作は『芽むしり仔撃ち』である。

確かに今読むと違和感のある性描写も含まれているとはいえ、

それが許容できないほどのものでもないし、牧歌的という批判に対しても、

それのどこが悪いのだと言ってしまえばただそれだけのことである。

とにかく読んで面白いのだから、傑作だという以外にない。

しかし、大江健三郎という人はそれで満足しなかった。

牧歌的でない小説を自分のものとするべく、痛々しいまでの努力を

ただひたすらより良い文学を構築するために継続するのである。

性の表現が文学的であるためには、それが深奥において生と結びつく、

そのことによって担保されうると思うのであるが、

大江健三郎は『芽むしり仔撃ち』以後、その問題に果敢に挑戦し、

多くの労作を残してはいる。けれども、それが次の傑作として

結実するのはかなり先であり、『万延元年のフットボール』まで

苦難の道程を歩まねばならない。その間の努力たるや、

到底他人にはまねのできるものではなかっただろう。

この時代の作品が中上健二や山田詠美を生んだことも間違いがない。

そして『万延元年のフットボール』の成功は圧倒的である。

この作品で他の純文学作家をとてつもなく引き離してしまった感がある。

とにかくこの2作品を読んでいただけたら、後は誰に言われなくとも、

自ら大江文学を読み漁ることになるのは間違いがないであろう。

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2007年3月16日 (金)

大江健三郎の努力の軌跡と奇跡

大江健三郎という作家は何事においても努力することによって

解決できると考えているように思える。そして実際に努力することによって

多くの困難を乗り越えてきたのでもあるだろう。

大江健三郎は大学生の頃は渡辺一夫に指導を受け、

サルトルやノーマン・メイラーの小説から多くを学び、

その後も多くの文芸理論を吸収し、努力につぐ努力を重ねてきた

戦後の日本文学を支えてきた偉大な作家である。

それにもかかわらず大江ほど多くの批判を受け続けてきた作家も

珍しいであろう。いや、むしろ努力する作家であったからこその

批判でもあったのかもしれない。ノーベル文学賞を受賞することによって、

一般の読者からの評価はある程度は固まったとはいえ、

いまだ大江健三郎を正当に評価しきれていないような気がする。

その大江評価は今後の大江自身の活動によるところもあるので

まだまだ先の話ではあるが、多くの批評家の活発な議論を待ちたい。

ここではとりあえず大江健三郎の若かりし頃の活動報告と、

ノーベル賞受賞講演などをまとめた2冊の著書を紹介してみたい。

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2007年3月15日 (木)

孤高の人として生きた川端康成

1968年に川端康成は日本人で初めてノーベル文学賞を授与され、

その授賞式で『美しい日本と私』というスピーチを行い、

世界中の人々に深い感銘を与えた。冒頭の三僧の歌の紹介では、

自然との合一こそが日本人の精神伝統の根本であることを説き、

続いて芥川の遺書にある「末期の眼」という語などをひいて、

死や虚無などともこの精神が深く通じていることを述べている。

しかし、それらは西欧的な死や無の観念とは違って、

とても豊かで奥深い世界であり、そこから日本のさまざまな

伝統文化が生まれてくると言うのである。

けれども、本当にそのような「日本」は川端が生きていた時代に

存在していたのだろうか。もし本当に存在していたとするなら、

どうして川端はあのような最期を迎えなければならなかったのか。

川端の代表的な作品に描かれる美意識とあわせて、

『美しい日本と私』も読んでいただければと思います。

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2007年3月14日 (水)

天才小説家・横光利一

小林秀雄が天才批評家とするならば、そのほぼ同時代を生きた

天才小説家と言えばやはり横光利一以外にはないであろう。

横光利一は新感覚派の旗手として登場し、その独自の作品世界を

特徴的な文体で表現し続け、まさに天才を冠するにふさわしい存在であった。

しかし、残念なことに今現在の評価はと言うと、

その名前さえ目にすることが少ないというのが現状であろう。

むしろ同じ新感覚派に属していたとされる川端康成のほうが

ノーベル賞作家として、その才能を高く評価されているのであろう。

ここではどちらが優れているのかの結論を出したいわけではないが、

私が考えるに、川端が自分の美に対する資質を最大限引き伸ばして

芸術の領域に達したのに対して、横光は芸術の領域そのものを

最大限に引き伸ばすことに全精力を傾けたという気がする。

横光の「機械」という作品を読むと、そこには現代人が抱える悩みが

そっくりそのまま詰め込まれているという気がするのである。

別な言い方をすれば横光は現代の優れた作家の先駆けたり得るが、

川端は川端の後に続くものを拒み続けているように思える。

天才をどう定義するかにもよるのだが、少なくとも横光利一は

川端康成を読んで楽しめる程度には、こちらを楽しませてくれる

読んで損のない天才小説家であると私は思っている。

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2007年3月13日 (火)

多様な小林秀雄論

小林秀雄ほど多くの批評の対象となっている批評家も少ないのではないだろうか。

それほど小林秀雄という批評家は多くの批評家に読まれてきたのだし、

小林秀雄をどう評価するのかということが、その批評家の批評スタイルを

ある意味で特徴付けると言えないこともない。

また別な言い方をすれば、小林秀雄を読まずに批評家となることができないほど、

小林秀雄が偉大な存在であるということが言えるのだと思う。

今回は数ある小林秀雄論の中でも、特に優れた批評家の手になると

思われるものを厳選してみました。

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2007年3月12日 (月)

文芸批評の父・小林秀雄

批評や評論という分野は、どうしても小説という分野に対して

二次的なものと考えられがちで、特に文芸批評というものは

面白い小説が存在してこそ、その解説のような役割として

意味があるとされてきた面があるが、小林秀雄はその地位を

まったく逆転してしまう力を持っていたということで、

かなり特別な存在であるということが言えると思います。

小林秀雄の批評はそれ自体の面白さから、

そこで取り上げられている小説を読んでみたいと思わせる

独自の創作物であるばかりでなく、批評の対象を

文芸という狭い範囲に限らずに、絵画や歴史・思想へと

展開していき、独自の地位を確立した感があります。

そのために一時期は小林秀雄を超えていこうという運動が

盛んになり、小林秀雄の著作をあまり読んでいないと

思われるような人たちからも、批判を受けることとなったが、

論者は権威に対する反発というだけでなく、きちんと

その著作に当たり、論理的な批評を展開すべきであったでしょう。

最近では全集などもまた発売されるようになり、

関連書籍も小林秀雄を評価するものが増えてきており、

闇雲に批判するという悪しき状況は終わりつつあるので、

新たに小林秀雄を体験する人には好環境ではないかと思います。

今回は文芸批評と絵画に関するものを紹介しておきます。

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2007年3月11日 (日)

ソルジェニーツインのロシア

ソビエト連崩壊後の民族的アイデンティティーが希薄になったロシアにあって、

ソルジェニーツィンほどロシアの民族性を信じている作家はいないのではないだろうか。

その著作の中でもロシアの混迷を政治、経済、社会、民族、宗教などの分野で分析し、

そこからいかにして脱出するのかを常に提言している。

ソビエト連邦時代に国外へ追放された反体制作家らしい物言いは

ときとして現実から乖離しているようにも聞こえるが、

現在の改革政治の本質をついているようにみえる。

また、小説家としての力量は代表作の『収容所群島』を読んでいただければ

一目瞭然だが、私の個人的な好みで言わせてもらえれば、

『ガン病棟』が最もすばらしい作品であるように思う。

ただ、これらの作品は手に入れるのが少し難しいかもしれないので、

ここでは最も手に入りやすいものとして次のものを紹介してみたい。

次回は、小林秀雄の作品について書いてみたいと思いますので、

よろしくお願いします。

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2007年3月10日 (土)

トルストイの労作『戦争と平和』

日本の文豪が夏目漱石と森鷗外ならば、

ロシアの文豪はやはりドストエフスキーとトルストイでしょう。

そしてそのトルストイの作品の中でも最も有名であり、

最も多くの人に読まれて感動を与えているのは

やはり『戦争と平和』ではないだろうか。

今回はもうひとつの大作『アンナカレーニナ』と『復活』とともに紹介します。

とにかくこの3作品を全て読み込めれば、

非常にロシア文学に対する視界が開けてくるはずです。

次回は、もう一人のロシアの作家をについて書いてみたいと思いますので、

よろしくお願いします。

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2007年3月 9日 (金)

もう一人の文豪・森鷗外

夏目漱石と並び称されることが多いにもかかわらず、

誰もが好きになるというのではないのが森鷗外という作家の

特徴といえば特徴なのだろうか。

確かに多くの有名な作品があり、評価も高いのではあるが、

夏目漱石の前期後期の各三部作に比べると

やはり今ひとつの感じは否めないものがある。

しかし、自分の興味関心に上手くはまれば、

これほど技巧的にも優れた大作家はなかなか見出しがたいのも事実で、

今回は特に読んでもらいたい鷗外の作品を文庫で集めてみました。

とくに安楽死の問題を扱った「高瀬舟」は何度読んでも

傑作であるとしか言いようがないほど、質の高い小説です。

『渋江抽斎』は評価の高い小説ではあるが、

面白いと思うかどうかは、人それぞれといったところか。

「舞姫」は鷗外の経験したこととしてよりも、

ひとつの作品として楽しめればそれで充分という感じです。

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2007年3月 8日 (木)

文芸批評家としての吉本隆明

マルクスやヘーゲルに依拠した論理立てや、

マルクス主義がまだその力を信じられていた時代の

思索の進み行きに対して付いていけない人や、

最近の権威化した吉本を攻撃することが

ある種のステイタスといった風潮に乗った批判に組する

人たちには吉本の思想的書物には抵抗があるかもしれないが、

そんな人たちにも文芸批評家としての吉本の著作には

ぜひ目を通してもらいたい。そしてその後にまた、

思想的書物にも挑戦してもらえると、

そこにはまた違った顔の吉本がきっといるはずである。

次回は、夏目漱石と並ぶ偉大な作家、森鷗外の作品について

書いてみたいと思いますので、よろしくお願いします。

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2007年3月 7日 (水)

田川建三の吉本隆明批評

吉本隆明がまだ充分に他者を批評して、その妥当性を広く認めさせていた時代に、

吉本を正面から論じて、感情的ではない理論的な批評を展開したのは

私が知る限りでは新約聖書学者の田川建三くらいではないだろうか。

この批評を読んだ上でなお吉本隆明の数多い著作を読んでいくと

非常に視野が広がり、さまざまな角度から物事を考えることが

できるようになるはずである。

結局のところどちらの言い分が正しいかということではなく、

どちらの言うことも自分がこの世界を把握するために有益であれば、

耳を傾ければいいのだと思う。

そして何よりもこの二人の思索者の語り口調に元気をもらうことが

できれば、一般の読者としては何よりだと思うのである。

次回は、吉本隆明の別の作品について書いてみたいと思いますので、

よろしくお願いします。

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2007年3月 6日 (火)

偉大なる思索家・吉本隆明

吉本隆明を文学史の教科書的表現を借りて紹介をするなら、

やはり「左翼思想の精神的支柱」であったということになるのかもしれないが、

私は吉本をそのような思想家であるとは認識していない。

確かにマルクスの言っていることに間違いはないと語り、

今でも思索の原点はマルクスの枠組みの中にあるようには見えるが、

吉本はその多くをヘーゲルにも依拠していることが明白であるし、

世間一般で言われるような「マルクス主義者」ではないことも明らかだ。

左翼が「サヨク」としてその存在を保っていた時代はもう過ぎ去り、

その時代の変化に応じて吉本も「労働者」から「大衆」へとその軸足を移し、

いつしか大量消費社会の恩恵を受ける側に移ってしまった感じである。

けれどそれは吉本が転向したというよりは、吉本が寄り添ってきた

「労働者」なり「大衆」なりが、その様相を変えてしまったということに過ぎない。

それを吉本のせいにして批判することは酷なような気がする。

確かにここ最近の宗教や核の問題に対する発言には

納得のいかない人も多いのかもしれないが、それでも吉本の建てた

「掘立小屋」以上のものを建てた人はそう多くはいないと思うのである。

今読み返してみても初期の3部作はとても示唆に富んでいるので、

やはり吉本の思索の過程をたどる上でもぜひ読んでもらいたい作品群である。

上記3冊に加えて、少し手に入りにくいかもしれない『心的現象論序説』を

読んでいただければ、その後の吉本の思索を追う楽しみが広がると思います。

次回は、吉本隆明に対する批評について書いてみたいと思いますので、

よろしくお願いします。

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2007年3月 5日 (月)

必読の夏目漱石論

文豪・夏目漱石について書くという行為は、その作品世界が多様で、

それでいてどの作品も水準が高いために、書き手の作家や

評論家の力量を広く世間に知らしめるという意味で、

とても興味深いものと言えるだろう。

なので、ぜひお気に入りの作家や評論家がいる人は、

その人が漱石論を書いていないか探してみていただきたいし、

もし書いていれば必ず読んでみてもらいたい。

私がこれまでに読んだ漱石論の中でも、特に面白かったものを

何点か紹介してみたいと思います。

これは吉本ファン待望の漱石論といったところでしょうか。

読みやすい内容で、それでいて吉本隆明がどのように

漱石を捉えていたのかが、大体は理解できるというものです。

他には対談集を参考にすると、より吉本隆明の漱石理解に

ついて詳しく分かります。

柄谷行人がデビュー当時からこだわり続けた漱石について

まとめられています。ある意味で柄谷の文学理解のエッセンスが

ここに全て詰まっていると言えるでしょう。

江藤淳には他にも漱石関連の作品があり、どれも面白く読めます。

後は少し手に入りにくいものでは、大岡昇平の『小説家夏目漱石』、

蓮実重彦の『夏目漱石論』などがお薦めです。

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2007年3月 4日 (日)

夏目漱石の『こころ』の謎

『こころ』という作品は、学校の教科書にも以前は必ず

といっていいほど採用されていた夏目漱石の代表作ではあるが、

この作品の主題を本当に突き詰めて理解できる人は

実はあまり多くはいないような気がする。

なぜなら、この作品の最大のテーマが「死」を巡るもので

あるにもかかわらず、結局のところ、どうして死に至るのか

ということは記述されているようでいて、本当のところは

なかなか読み取れないのである。

それは学生のときに読んだから読み取れなかった

というのではなく、学生の多感な時期だから、

何となく「死」という問題に惹きつけられ、理解できたような

気になるだけで、では本当の死の理由といわれると、

返答に困るのが、この作品の実は正しい理解なのかもしれない。

大人になってから読む『こころ』は、実に難解で、

それでいて結論は「死にたかったから死んだのでは?」という、

あまりにも単純な、とても底が知れない混沌とした暗闇を

覗き込んでしまったような、そんな思いにさせられてしまう。

人間とはそれほどまでに無規定なものなのだろうかと

寝られなくなったら、漱石の別の作品も読んでみてください。

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2007年3月 3日 (土)

夏目漱石~芥川龍之介~太宰治

夏目漱石を基点とし、次に芥川龍之介を配し、太宰治に至る流れ。

これは日本の文学史を見ていくときに私がよくやるやり方で、

3人の作家をつなげて理解するという方法の典型例です。

これは国語のテストにはほとんど役に立ちませんが、

自分なりに大づかみに、その時代の特徴と作風などを

関連付けて読み進んでいく際の指針にするのには優れています。

このほかの例ではいずれ紹介することになると思いますが、

大江健三郎から古井由吉、そして中上健次というのもあります。

何となく結び付けられている意味が分かればそれで充分です。

自分なりの勝手な3人の結び付けというのをぜひ楽しんでみて、

この方法の目的を共有していただければと思います。

話は変わって、夏目漱石の作品の紹介ですが、

やはり、前期3部作の1冊目にあたる『三四郎』から

読んでもらうと、その後の展開が面白くなるのではないかと

思います。ちなみに前期3部作の残り2作品は

『それから』と『門』で、後期3部作は『彼岸過迄』『行人』

『こころ』を指すのが一般的なようです。

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2007年3月 2日 (金)

太宰治の欲しかった芥川賞

まだ学生だった太宰治が小説を書くようになったのは

芥川龍之介の影響によるところが大きいのだと思われます。

そして、そんな太宰だからこそ、第一回の芥川賞には

人一倍その獲得に力を注いだのだと思います。

けれど結果は残念なものになってしまいます。

太宰が憧れた芥川の作品はどれも技巧的で、

古典に題材をとったものなどもあり、

少し分かりにくい点があることも事実ですが、

読んでみると以外に面白いものもあるので、

ぜひ何冊か読んでみてもらいたいと思います。

大江健三郎が小林秀雄から教えられた読書の方法として

その作家の全集を全部読むということを薦めていますが、

芥川龍之介という作家にはそのような方法が

楽しむための方法として、向いているように思います。

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2007年3月 1日 (木)

ドストエフスキーの傑作『カラマーゾフの兄弟』

とても面白い小説に出会うと、早く読み進みたいと思う反面、

読み終わってしまうことが残念でならないと思うことがあるものです。

そして、このドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』という作品は

そんな思いを他のどの小説よりも強く感じさせる作品なのです。

特に作品の舞台となった時代のロシアについて何も知らなくても、

キリスト教に関する知識が一切なくても別にかまわないのです。

ただ、次から次へと展開される物語を読んでいくだけで

自然と作品世界へと引き込まれていくようにできているので、

後はただ、自分が好きなペースでその物語を追っていけば

ドストエフスキーに魅了されているはずです。

無垢な子供を礼讃する場面に感動してみるのもいいし、

宗教問答に思い悩むのもいいし、人それぞれの

『カラマーゾフの兄弟』があってもいいというくらいに

多様な読み方ができるロシア文学の最高傑作です。

とにかく一度手にしてその作品世界に触れてもらいたいと思います。

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