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2007年3月26日 (月)

柄谷行人の文芸批評

吉本隆明の強い影響を受けながらも独自の思考を展開しようと

常に時代の最先端を歩んでいた当時の柄谷行人には

危うさと同時に新しい希望を抱かせるエネルギーに満ちていた。

それまでの沈滞したムードのマルクス主義に一石を投じうるのでは

ないかとも感じさせられるほどに、シャープな切れ味鋭い論考には

今読み返してみても多くの示唆を与えられる。

特に文芸批評の分野では高い能力を遺憾なく発揮していたと思う。

ただその後の柄谷行人については評価が分かれるところだと思う。

最も残念だったことには柄谷が活躍し始めた時代に

優秀な小説家が現れなかったということである。

大江健三郎以降では内向の世代に才能のある人がいたとはいえ、

文芸が衰退していく丁度その時に、柄谷は文芸批評から

ポストモダン思想へと舵を切ることになるのだが、

そこで本来であれば吉本隆明と正面から向き合うべき時期に、

蓮実重彦と共闘を組むことによりあいまいに過ごしてしまった感は否めない。

その時期のものもそれなりに楽しく読ませるのではあるが、

文学好きな者にとっては少し勿体無かったというのが正直な感想である。

吉本びいきの中上健次が柄谷行人の側にいただけに、

柄谷が吉本を超えられるかの挑戦は見てみたかったと

今でも思わずにはいられないというのは私ひとりの感想だろうか。

今回は柄谷行人のデビュー当時からの文芸批評を中心に

紹介しておきたいと思います。

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