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2007年3月19日 (月)

批評家を刺激する大江文学

一般には優れた小説家というのは読者にはっきりとしたメッセージを

明確に伝えてくれるものであると考えられているかもしれないが、

もしそうであるならば、その小説家の作品は一通りの読み方しかなく、

誰が読んでも同じような印象を受け、同じような読後感を残すはずである。

しかし、真に優れた文学者というのは多様なメッセージを

その読者の状況や読む年代によって伝えてくれるものであるように思う。

そのため大江健三郎のような優れた文学者に対しては

同時代の作家や批評家がそのメッセージに対して反応することが

多くなっていくことは当然のことであり、避けられるものではない。

これはイジメられっ子における「攻撃誘発性」の問題とは別のもので、

優れているということが認められていればいるほど、

その人の弱点を指摘して優越感に浸りたい人もいれば、

他の作家が論じるべき価値のないことの裏返しとして、

批判にさらされるということも出てきてしまうのである。

小林秀雄のように、その世界で一流と認められている人について

きちんとした批評ができることが大切だという考え方もあると思う。

そして大江健三郎という人はこれら全ての批評に対し、

被害者的であったり、感情的になったりすることもあるとはいえ、

真摯に応えようと努力してきた作家であるように思う。

このことは批評する側の人も意識しているはずで、

やはり読んで考えさせられる内容の詰まった批評が多いようである。

1冊目は大江健三郎案内としてまとまっているもの。

2冊目は自身も作家として活躍している人のもの。

3冊目は大江本人はあまり納得していないらしいもの。

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