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2007年4月30日 (月)

フロイト以後の巨匠・ラカン

精神分析という世界において、フロイトの思想的な後継者として

最も有名な名前といえばジャック・ラカン以外にはないであろう。

しかし、その作品を正しく理解している人は本人を含めても

世界中で数えるほどしかいないだろうと思われる。

それほどラカンの作品は難解であるとされているが、

では一般の読書人が、そのように難しい作品を手に取る

意味があるのだろうかという疑問が当然湧いてくる。

結論は、読まなくともなんら問題はないが、

読んで面白いと思えればそれほど幸せなことはない

ということであろうか(理解できたという優越感?)。

ただし、難しく書いてあれば高尚だと思い込む人には

ラカンの作品はまったく薦められない。

なぜなら、多分そこに書かれていることは、

それほど高尚なことなどではなく、他の思想家であれば

もっと分かりやすく表現できるであろう事柄ばかりで

あるはずだからだ(私が読んだ範囲ではあるが)。

ただ、ラカンの作品を読む理由のひとつに、

その解説書を読む楽しみを広げるためという、

これまた難解な作品ゆえの理由があるのも事実である。

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コメント

トラックバックありがとうございます。
さすがその道の人だけあって、臨床心理士のブログは違いますね。こちらは浅田彰の『構造と力』以来、思想的にはラカンを追いかけてきましたが、やはり分かりにくい思想家という位置づけですましてしまう傾向があります。時間があったら、フロイトとともにもう一度読み返してみたいと思います。

投稿: ぶんてつ | 2007年5月 2日 (水) 12時46分

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新宮一成著「ラカンの精神分析」講談社現代新書 1995 についての書評。 [続きを読む]

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