太宰治を書くということ
太宰治について書くということは、その人にとって明白な
文学的意思表示とならざるを得ない気がする。
それは太宰を賞賛するにしろ、酷評するにしろ変わることがない。
このことは芥川龍之介について書くということと比べてみると
その違いがより鮮明になるかもしれない。
また別の視点から見ると、太宰の小説を読んだことにより
小説家を志す人が多いのに対して、芥川の小説を読んで
小説家になったという人をあまり聞かないということがある。
これらのことは別に2人の優劣を決するものではない。
ただ、太宰治という作家の特徴を浮き彫りにする事実ではある。
では、どのような人によって、どのような太宰像が
今まで描かれてきたかということになるが、
ここでは比較的手に入れやすく読みやすいものを
3点ほど紹介しておきたいと思う。
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