« 時枝誠記の国語学 | トップページ | ドゥルーズを解説することの困難 »

2007年5月 9日 (水)

差異こそが思索の可能性を生産する・ドゥルーズ

私が最も多くの反論をその作品に向けたであろう哲学者が

ジル・ドゥルーズであるのだが、では何故そのような作品を

ここであえて紹介するのかと言えば、皆さんにもそのように

批判的にでも読んでもらいたいと思うからである。

言っていることが分かりにくいのは現代の哲学者の常だが、

ジル・ドゥルーズの場合は少し異なっているのである。

ジル・ドゥルーズは独自の理論を展開するときにでも、

必ずと言っていいほど誰か別の人の作品から、

その概念を作り出したと主張するのである。

しかし、その別の人について詳しくない私にとっては、

これが難しく感じられる原因のひとつとなる。

更に悪いことにその別の人の一般的な評価や解釈とは

まったく異なる主張をジル・ドゥルーズは平気で行う。

これがまた厄介であるのだが、もっと深刻なことには、

そこから導き出されたとされる独自の理論が、

これまた反論したくなるような不完全なものなのである。

では、ドゥルーズは間違ってばかりかというとそうでもない。

その証拠にポスト構造主義に分類されている哲学者の

他の作品と比較しても遜色がないほど、現代的なテーマに

思索のヒントを与えてくれていることが、読めばすぐ分かる。

ただ、提示されるものに対してこちら側にも言いたいことが

山ほどあるというのが正直なところである。

これは実は哲学者としては尊敬に値する態度なのである。

大概の哲学者は現代の問題に取り組むとしつつも、

過去の哲学者の考えた路線の上に乗っかって、

それを継承するか、それに依拠しつつ反論するかの

どちらかである場合がほとんどだからである。

それに比べると、ジル・ドゥルーズは元々の作品の

理解という点では正確でないかもしれないが、

そこから導き出された理論については独自性があるし、

その問題を共有する人から容易に反論されるほど

真に現代的で本質的な問題に挑んでいるのである。

そういった意味でジル・ドゥルーズの作品は

ただ受け入れるというのではなしに、批判的に

読んでもらえれば、とても刺激的で自分の思索の

能力も高められる作品が多いと思うのである。

翻訳の問題についてはいろいろという人もいるが、

とにかく読んでみることが大切だと思うので、

文庫化されているものはそちらを紹介しておきます。

|

« 時枝誠記の国語学 | トップページ | ドゥルーズを解説することの困難 »

思想・哲学」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 差異こそが思索の可能性を生産する・ドゥルーズ:

« 時枝誠記の国語学 | トップページ | ドゥルーズを解説することの困難 »