ウィトゲンシュタインを理解できるかではなく、何を考えるかが問題
ウィトゲンシュタインはフッサールのように数学を学んだ後、
フレーゲやラッセルの影響を受けて論理学などに進み、
生前に唯一刊行した『論理哲学論考』を完成させることによって、
哲学の問題を全て解決させたと考えて、小学校の教師や
修道院の庭師になったりもするのですが、その後に
自己の言語理論への批判的な検討を行うことによって、
また新たな考えに基づき哲学者として大学に復帰するという、
かなり独特な経歴を持つ、これまた難解な思索家です。
後年の思索の成果は『哲学探究』へと結実するのですが、
『論理哲学論考』との整合性については様々に論じられていて、
私としては研究者のような読み方ではなく、
ファンとしてどちらも楽しめればよいと思うのですが、
ラッセルによる解説をはじめ、何人かの解説者の意見も
合わせて読んでみるのは悪いことではないように思います。
ただ、それで理解が深まるかというと、疑問なしとはしませんが、
とにかくウィトゲンシュタインの作品を前にして
何を考えるかということを大切にしていただけたらと思います。
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