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2007年5月17日 (木)

ウィトゲンシュタインを理解できるかではなく、何を考えるかが問題

ウィトゲンシュタインはフッサールのように数学を学んだ後、

フレーゲやラッセルの影響を受けて論理学などに進み、

生前に唯一刊行した『論理哲学論考』を完成させることによって、

哲学の問題を全て解決させたと考えて、小学校の教師や

修道院の庭師になったりもするのですが、その後に

自己の言語理論への批判的な検討を行うことによって、

また新たな考えに基づき哲学者として大学に復帰するという、

かなり独特な経歴を持つ、これまた難解な思索家です。

後年の思索の成果は『哲学探究』へと結実するのですが、

『論理哲学論考』との整合性については様々に論じられていて、

私としては研究者のような読み方ではなく、

ファンとしてどちらも楽しめればよいと思うのですが、

ラッセルによる解説をはじめ、何人かの解説者の意見も

合わせて読んでみるのは悪いことではないように思います。

ただ、それで理解が深まるかというと、疑問なしとはしませんが、

とにかくウィトゲンシュタインの作品を前にして

何を考えるかということを大切にしていただけたらと思います。

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