テクストを読むロラン・バルトのテクストを読む
私がまだ学生だった頃、文芸批評の中に「テクスト」と意味ありげに
書かれているのに対して、一般に用いる「作品」とどこが違うのか、
熱心にいろいろな解説書に当たったことを覚えている。
その時の理解ではロラン・バルトが提示する「テクスト」の読みとは、
主題や内容といった唯一の意味を求める閉じられた行為ではなく、
新たなものを生み出すような開かれた生産行為であるらしかった。
そして「テクスト」そのものは読む人が作品の表現に新たなものを
加えることが許され、多様な意味を作り出す言語活動としての
方法論的な場であるとされているようであった。
この考えはそれまで「作品」はそれを書いた人のみのものであり、
常に作者が想定する正しい解釈というものが存在すると考えていた
私にとっては、とても新鮮な発想であった。
ただ、「テクスト」の読みと称して、誰もが独善的に解釈してよいのか
どうかということは、いまでも疑問の残るところではある。
ここではそんなロラン・バルトのテキストを更に読むという、
難題に挑戦している人の作品を紹介してみたいと思う。
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