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2007年6月12日 (火)

登場が早過ぎた大通俗作家・菊池寛

菊池寛は明治21年に香川県高松市に生まれた。

大正3年、芥川龍之介らが第3次「新思潮」を起こすと

同人として参加した。大正5年には第5次「新思潮」に参加し、

戯曲『屋上の狂人』、『暴徒の子』、『父帰る』などを発表した。

大正7年には『無名作家の日記』、『忠直卿行状記』、

『青木の出京』、『恩讐の彼方に』などを次々と発表して

作家としての歩を確実なものとした。大正8年には

芥川龍之介とともに大阪毎日新聞社の客員となり、

『藤十郎の恋』、『神の如く弱し』、『義民甚兵衛』など、

数多くの作品を書き続けた。

当時の菊池寛の作品は、明確な主題の展開を

重視したものが多く、自らそれをテーマ小説と呼んだ。

大正9年に「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」に連載した

最近の昼ドラの原作でもある『真珠夫人』は、

それまでにない構成の巧みさと通俗小説特有の読者の心を

捉える上手さによって、従来の新聞小説にはない、

大通俗小説としての新境地を切り開いたものである。

また、大正10年の『蘭学事始』、『入れ札』などの小説も

世間の評判は上々であったらしい。

昭和にはいると、通俗小説家というだけでなく、

その経営の手腕から「文壇の大御所」と呼ばれるようになった。

大正12年には「文芸春秋」を創刊、独創的なアイデアによって

一大出版社に成長させた。更に芥川賞、直木賞の設定による

後進の育成も菊池寛の発案によるとされている。

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