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2007年6月26日 (火)

新心理主義と言われた堀辰雄

堀辰雄は1904年12月28日に東京麹町区平河町に生まれた。

高校在学中は室生犀星や芥川龍之介と知り合う一方で、

関東大震災で母親を失うという経験もしており、堀文学の

その後の展開において、とても重要な時期であった。

東京帝国大学文学部入学後、中野重治らプロレタリア文学派と

接するとともに、小林秀雄や永井龍男らの同人誌にも関係し、

昭和文学を代表するふたつの流れの双方とつながりをもった。

1926年には中野重治らと同人誌『驢馬』を創刊した。

この頃の作品にはモダニズムの影響を受けたものもある。

1930年には『聖家族』で文壇デビューを果たした。

しかし、この頃から肺を患い、軽井沢に療養することも多く、

軽井沢を舞台にした作品を多く残したことでも知られている。

また、病の床でマルセル・プルーストやジェイムズ・ジョイスなどの

当時の西欧の文学に触れたことで、作品に幅が広がった。

1934年には矢野綾子と婚約するが、彼女も肺を患っていたため、

翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に二人で入院した。

けれど、矢野綾子はその冬に帰らぬ人となってしまった。

この体験が、堀辰夫の代表作となる『風立ちぬ』の題材である。

更に、この頃には折口信夫から古典文学についての教えを受け、

王朝文学に題材を取った『かげろふの日記』のような作品や、

『大和路・信濃路』のような随想的作品も書くようになった。

一方で、堀辰夫は後進の面倒もよくみたとされ、立原道造や

中村真一郎、福永武彦らが門下生のような存在とされている。

戦後には病が重くなったこともあり、ほとんど作品の発表もできずに、

信濃追分で闘病生活を送ったが、1953年5月28日この世を去った。

代表作は『美しい村』、『風立ちぬ』、『かげろふの日記』など。

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