自然主義文学の先駆者・島崎藤村
自然主義というのは、それまでの写実主義というのが
外国文学の模倣であり、言文一致という表面的な新しさに
とどまるという批判に対して、内容的な新しさを目指す
活動として現れてきたところがある。
ただし、日本における自然主義は、フランスの自然主義作家の
ゾラが考えていたような西欧の実証的自然科学主義とは異なり、
自然のあるがままということと、自己の醜い部分についても
あるがままに全て曝け出すということとを同等とみなしてしまった。
そのため自然主義作家の行き着くところは必然的に
自己の体験を告白する私小説となり、人間の醜悪な部分のみが
追求される結果となってしまった感じがする。
ただ、自然主義文学の先駆けとされる島崎藤村の『破戒』は
差別問題を扱っており、社会性のあるものとなっている。
もちろん時代の制約等もあり、結末が逃避行動であるかのように
受け取られる面もあるが、文学的な価値が
そのことによって損なわれることはないと思える。
また、その後の島崎藤村の作品には、やはり『家』に
典型的に見られるように、自己の体験の告白という
要素が強くなってしまうところがあるのも事実である。
どちらの島崎藤村も興味深く読めるので、
どちらが好きかの判断は読む人の自由ですが、
ぜひ読んでいただいて、明治の人の凄さを感じて
もらえたらと思います。
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