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2007年6月 7日 (木)

小説の神様と称された志賀直哉

志賀直哉は初め内村鑑三に師事したが、約7年でそのもとを去り、

キリスト教から離れていった。ただ、その倫理観は作品の中に

僅かながら見て取ることが出来る。また、武者小路実篤らとともに

雑誌『白樺』を創刊したが、そのことで元々作家となることには

反対だった父親と対立し、結婚問題等により更に溝が深まったため

家を出ることとなった。後に和解することになるとはいえ、

このことが志賀直哉に与えた影響は大きかったと思われる。

作品としては『城の崎にて』や『和解』などが有名であるが、

その他にも『暗夜行路』などの名作を数多く生んだ作家である。

志賀直哉の文章は推敲により極力無駄を省いた端正なもので、

大正から昭和にかけて多くの作家に模範とされ、

「小説の神様」と称されるようになった。

志賀直哉は白樺派の作家という分類ではあるが、

作品には自然主義文学の影響も指摘されている。

無駄のない文章は小説の文体の理想的なものとされ、

一般的には評価が高いが、芥川龍之介が志賀直哉の小説を

高く評価し、自分の創作上の理想と呼んだのに対して、

芥川龍之介を尊敬していた太宰治からは『津軽』や

「如是我聞」の中で批判されている点も興味深い。

また、プロレタリア文学の旗手とされる小林多喜二は

志賀直哉を敬愛し、作品の評価を求めたとされるが、

志賀直哉は小林多喜二らのプロレタリア文学作家が

共産党の強い影響下にあることを指摘して、

「主人持ちの文学」と評するなど、その党派性を批判した。

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