反自然主義の雄としての森鷗外
森鷗外は東京医科卒業後、陸軍軍医となりドイツへ留学した。
留学中に西欧文学の素養を深め、帰国後に「しがらみ草紙」
などを創刊した。また、翻訳や評論、創作にも旺盛な活動を示し、
日本文学の近代化に大きく貢献した。
当時の主流だった自然主義からは距離を置き、
余裕派・高踏派とも呼ばれたが、その作風は当初は
浪漫主義であったが、夏目漱石の『三四郎』に
影響を受けて、「客観小説」に転向した。
その後も乃木将軍の殉死をきっかけとして、
「歴史小説」に転向し、更に「史伝」にまで行き着くこととなる。
代表的な作品としては、小説では「舞姫」「青年」「高瀬舟」、
史伝では「渋江抽斎」、翻訳では「即興詩人」など。
ここでは作品は以前に紹介しているので、
鷗外や当時の文壇についての解説本を紹介します。
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