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2007年6月14日 (木)

雅俗折衷による理想主義の代表者・幸田露伴

幸田露伴は1867年8月20日に現在の東京都下谷に生まれる。

明治13年頃から湯島聖堂の東京図書館に通いつめ、

経書や仏典から江戸時代の雑書に至るまで幅広く渉猟した。

明治17年に中央電信局に勤務し、翌年には十等技手として

北海道に赴任するが、坪内逍遥の『小説神髄』などに

影響されて文学革新の志を抱き、明治20年に職を捨てて帰京。

明治22年に「露団々」や「風流仏」を発表すると、

山田美妙の激賞などもあり文壇の注目を浴びる。

その後は写実主義の尾崎紅葉、理想主義の幸田露伴として

明治の文壇に紅露時代と呼ばれる一時代を築いた。

代表作は「風流仏」「五重塔」「天うつ浪」「運命」などである。

擬古典主義の代表的作家でもあった幸田露伴は、

古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や考証のほか、

『芭蕉七部集評釈』などの古典研究も残した。

また、史伝の作品としては「頼朝」「平将門」などがある。

1947年7月30日に死去し、享年79歳であった。

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