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2007年6月16日 (土)

尾崎紅葉と並ぶベストセラー作家・徳冨蘆花

徳冨蘆花は1868年12月8日に熊本県水俣に生まれる。

兄は思想家でジャーナリストでもあった蘇峰である。

京都同志社に学び、いったん熊本に戻った時期に

キリスト教に入信する。また、トルストイに傾倒し、

後年パレスチナへの巡礼とトルストイ訪問を果たしている。

上京してからは兄の蘇峰が経営していた出版社であり

思想結社でもあった民友社に加わり、

「国民新聞」「国民之友」などに原稿を書いた。

1898年に書いた代表作の『不如帰(ほととぎす)』は、

尾崎紅葉の『金色夜叉』と並ぶ近代文学のベストセラーであり、

まさに一世を風靡することとなった。

この本は大山巌の長女信子とその嫁ぎ先との不和を

題材としたもので、当時の人々の共感を呼んだ。

日清戦争を契機に蘇峰が平民主義的な立場から

国家主義へと思想的立場を転じていくと、

思想対立から長期にわたる絶縁状態となった。

1903年には民友社を去り、自費出版した「黒潮」の巻頭に、

兄への決別を告げる「告別の辞」を掲げた。

1910年の大逆事件の際には幸徳秋水らの死刑を阻止するため、

蘇峰を通じて桂太郎首相へ嘆願しようとするが間に合わず

処刑されてしまう。直後に一高での講演を依頼されると

『謀叛論』を講演し、物議をかもすこととなり、

当時の一高の校長であった新渡戸稲造らは処分を受けている。

1927年9月18日の亡くなる際には、蘇峰との仲も修復された。

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