2007年4月 6日 (金)

サルトルブームは幻だったのか

大江健三郎が影響を受けたということで挑戦した

サルトルの『嘔吐』であったが、あまりのつまらなさに

こちらが嘔吐しそうなくらいであった。

実存主義哲学とともに一世を風靡したサルトル作品だが、

今では誰も話題にしなくなっただけではなく、

思想的にも誰もサルトルを省みなくなってしまった。

いったいあの多くの読者を魅了したサルトルブームは何だったのか。

実存主義とは不要なものであったのだろうか。

今読み返しても楽しめるという作品は少ないように感じられるが、

まだ何とか諦めずに読めるものを紹介してみたい。

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2007年4月 5日 (木)

フォークナーをより楽しむために

ウイリアム・フォークナーは多くの作家に影響を与えて

偉大な作家ではあるが、なかなか読みこなすのに骨が折れ、

時代背景や作品間のつながりなどが分かっていないと

理解しにくい面もあることは事実だと思う。

そこでフォークナー論として適当なものを紹介したいのだが、

これがなかなか手に入れやすいものが少ないのが現状である。

フォークナーの全集なども同じく手に入れにくいようだが、

どうにかしてもらえないものだろうか。

ここでは新書も含めて手に入れられそうなものを紹介しておきたい。

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2007年4月 4日 (水)

中上健次が追い続けたフォークナー

ウイリアム・フォークナーというアメリカの作家をご存知だろうか。

ノーベル文学賞を受賞しているのだが、日本では大江健三郎や

中上健次がその影響を強く受けていると思われる。

ヨクナパトーファサーガというアメリカ南部の町を舞台にした

一連の作品群は、そのあまりにも難解な文章にもかかわらず、

読むものを圧倒するだけの力を持っている。

逆に言えば、その難解な文章ゆえに多くの読者が

その作品世界に引き込まれてしまうのかもしれない。

とにかく解説を読まないと一度では全ての出来事を

理解できないような小説なんて他にはそう多くはないだろう。

それでいて充分に楽しめてしまうのだから不思議な作品である。

どの作品から読むのがいいのかは諸説あるだろうが、

私としては『サンクチュアリ』からが良いのではないかと考えます。

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2007年3月21日 (水)

フランス文学案内人・渡辺一夫

大江健三郎の師でもあるフランス文学者の渡辺一夫は

ラブレーの研究者としてもとても素晴らしく、

『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』の

翻訳とその詳解は上質な文学研究者の作品として

ぜひ熟読していただきたいものである。

他にも分かりやすいフランス文学案内を出しており、

フランス文学にまだ触れたことがない人や、

幾人かの作家の作品には触れたものの全体を見通す

俯瞰的な視点を持ちたいと考えている人には

とても便利な1冊となることは間違いがないであろう。

また、大江健三郎による渡辺一夫に関する本もあわせて

お読みいただければ、いっそう深い理解が得られるはずである。

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2007年3月20日 (火)

ドストエフスキー論

学生時代に作品を発表し、そのまま小説家として歩み始めた大江健三郎が、

その社会人経験のないことを補おうと努力したもののひとつが読書である。

学生時代の勉強の延長線上にあったフランス文学、

その中でもサルトルからの影響は初期の大江文学に色濃い。

そしてその後さまざまな読書体験を積んでいくのではあるが、

何度となく戻ってくる作家としてやはりドストエフスキーがあげられると思う。

大江自身によるドストエフスキー論というのも興味深いのではあるが、

ここでは少しまとまった作家論や作品論を紹介して、

ドストエフスキーの魅力の一端にでも触れていただければと思う。

江川卓の『謎とき』シリーズの作品論は作品を読んですぐに

読んでみるのもいいが、他の作品論などを読んだ後に

別の切り口で作品を楽しむのにも最適なシリーズだと思います。

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2007年3月11日 (日)

ソルジェニーツインのロシア

ソビエト連崩壊後の民族的アイデンティティーが希薄になったロシアにあって、

ソルジェニーツィンほどロシアの民族性を信じている作家はいないのではないだろうか。

その著作の中でもロシアの混迷を政治、経済、社会、民族、宗教などの分野で分析し、

そこからいかにして脱出するのかを常に提言している。

ソビエト連邦時代に国外へ追放された反体制作家らしい物言いは

ときとして現実から乖離しているようにも聞こえるが、

現在の改革政治の本質をついているようにみえる。

また、小説家としての力量は代表作の『収容所群島』を読んでいただければ

一目瞭然だが、私の個人的な好みで言わせてもらえれば、

『ガン病棟』が最もすばらしい作品であるように思う。

ただ、これらの作品は手に入れるのが少し難しいかもしれないので、

ここでは最も手に入りやすいものとして次のものを紹介してみたい。

次回は、小林秀雄の作品について書いてみたいと思いますので、

よろしくお願いします。

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2007年3月10日 (土)

トルストイの労作『戦争と平和』

日本の文豪が夏目漱石と森鷗外ならば、

ロシアの文豪はやはりドストエフスキーとトルストイでしょう。

そしてそのトルストイの作品の中でも最も有名であり、

最も多くの人に読まれて感動を与えているのは

やはり『戦争と平和』ではないだろうか。

今回はもうひとつの大作『アンナカレーニナ』と『復活』とともに紹介します。

とにかくこの3作品を全て読み込めれば、

非常にロシア文学に対する視界が開けてくるはずです。

次回は、もう一人のロシアの作家をについて書いてみたいと思いますので、

よろしくお願いします。

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2007年3月 1日 (木)

ドストエフスキーの傑作『カラマーゾフの兄弟』

とても面白い小説に出会うと、早く読み進みたいと思う反面、

読み終わってしまうことが残念でならないと思うことがあるものです。

そして、このドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』という作品は

そんな思いを他のどの小説よりも強く感じさせる作品なのです。

特に作品の舞台となった時代のロシアについて何も知らなくても、

キリスト教に関する知識が一切なくても別にかまわないのです。

ただ、次から次へと展開される物語を読んでいくだけで

自然と作品世界へと引き込まれていくようにできているので、

後はただ、自分が好きなペースでその物語を追っていけば

ドストエフスキーに魅了されているはずです。

無垢な子供を礼讃する場面に感動してみるのもいいし、

宗教問答に思い悩むのもいいし、人それぞれの

『カラマーゾフの兄弟』があってもいいというくらいに

多様な読み方ができるロシア文学の最高傑作です。

とにかく一度手にしてその作品世界に触れてもらいたいと思います。

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2007年2月27日 (火)

ドストエフスキーの魔力

朝早くに自分がまるで本当に人殺しをしてしまったような

強烈な錯覚に囚われて、ベットから飛び起きるという経験は

今でも忘れられない読後体験のひとつです。

何かの本を読んで恐怖にうなされるというようなことは

もちろんそれ自体あまり楽しいものとは言えないでしょう。

しかし、それほどまでに鮮烈な印象を残すドストエフスキーの

作品世界というものの魔力については考えさせられるところが

大いにあります。読んだそばからその本に何が書いてあったのかを

忘れてしまうような本も多い中で、このあまりにも激しい

読書体験というのは、いったい何に起因しているのでしょうか。

多くの作家が強い影響を受け、ドストエフスキーのような

作品を書くことを目指しもするが、それはついにかなわぬ夢と

なるのが、悲しいけれど現実ではないだろうか。

ドストエフスキーの作品に共通している手法は、

その時間の伸縮という小説が持つ特性を充分に利用している

ことに代表されるように、真似をしようとすれば誰もが

真似のできることではあるが、それをあの水準まで持っていく

ことはなかなか困難なことであるらしい。

例えば4日間で起こった出来事を分厚い2冊の小説に

してみせるということは、可能ではあるだろうが、

それをものすごい速さで読み進めてもらうような仕組み作り

というのは、天才にのみ可能な領域なのかもしれない。

ドストエフスキーについて書かれた作品は数多くあるが、

そんな中でもお薦めなのがバフチンのこの1冊です。

ドストエフスキーを論じて、それがひとつの作品としてまた

楽しめるという、単なる解説に終わらない良書です。

多くのドストエフスキー論とあわせて読むと更に面白いです。

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2007年2月26日 (月)

『罪と罰』とは対義語の並置なりや

太宰治の『人間失格』の中で、何度読んでも心に残る場面が

あります。それは最も印象的な場面が語られるその直前に、

主人公と堀木の対義語(アントニウム)と同義語(シノニム)

を探す会話が効果的に挿入されているところです。

「罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容れざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬燈がくるくる廻っていた」

この後に続く場面は実際に読んでもらうとして、

ここでの対比から来る罪の概念の明白化は

太宰の罪意識の特徴を示していて、とても興味深いものがあります。

そしてドストエフスキーの『罪と罰』もあわせて読んでみると、

太宰の苦悩が普遍的であったことが納得できるかもしれません。

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